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60年のあゆみ
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■1970年(昭和45年)
立売堀に本社社屋を完成
■1973年(昭和48年)
立体自動倉庫(ロボット倉庫)を
建設
■1973年(昭和48年)
売上高10億円突破
■1975年(昭和50年)
業界初のめっき付きねじの在庫
開始
■1977年(昭和52年)
大阪市中小企業投資育成株式会社より優良企業と認定され投資を受ける
■1978年(昭和53年)
奥山泰弘が代表取締役社長に
就任
■1980年(昭和55年)
売上高30億円突破
三興鋲螺時代の本社(立売堀)
1970年、本社を大阪市西区立売堀(いたちぼり)に移転。立売堀は鉄鋼、金属、機械の問屋街があり、船場の繊維と並び、大阪の双璧を成す産業へと発展してきました。三興鋲螺にとって、木ねじ問屋から脱皮し、あらゆるねじの商社へ羽ばたくための新天地となりました。
1973年、お客様のニーズに応え、社員の労力や負担をやわらげる立体自動倉庫(ロボット倉庫)を建設。それは、「人はもっと創造的な仕事をするべきだ」と考え続けてきた現社長の奥山泰弘が中心となって進められました。事実、ねじの入った重い段ボールを担ぐと、丈夫な作業服でさえ肩部が擦り切れてしまうほどの重労働でした。この倉庫がきっかけとなり、ロジスティクス(物流を合理化する)の第一歩を踏み出し、やがて現在の東大阪物流センターの存在に結びつきます。
日本経済低迷の影響から、1975年、1976年と連続して売上高が落ち込み、創立以来の打撃と試練を余儀なくされます。そこで発想を転換し、「ピンチはチャンスの芽」と、売上停滞により過剰となった在庫商品の半分をメッキ商品として在庫しました。当時、メッキ加工は納品まで中3日要したこともあり、サンコーが即納するメッキ付きねじは、お客様のニーズに合致し、「メッキ付きならサンコー」と当社ヒット商品になりました。